二相性脳症

二相性脳症・発症経過の話:初発症状・痙攣~病前1日目から当日~【痙攣重積型(二相性)急性脳症】

2022年4月14日

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※次女が発症した病気について、自身の備忘と、同じように情報収集している方にとって少しでも役に立てばと記録します。

次女が2021年12月15日に痙攣重積型(二相性)急性脳症を発病しました。

二相性脳症は、症状や容体からすぐに判断できるわけではありません。

まずは長時間の痙攣(痙攣重積)が続き、そこから二相性脳症独特の経過を辿ります。

対応など、同じような境遇になる方がいましたら、気づきになれば幸いです。

※あくまで、我が家の次女の場合の経過であり、千差万別であることにご留意ください。

病前1日目:高熱

結果から言えば、次女の場合、突発性発疹(ヒトヘルペスウイルス6、HHV-6)を原因として発病しました。

よって、病前に高熱を出していました。この時点では、よくある突発性発疹の症状とみていました。

実際、長女の時と症状が似ていたことも、そう判断していた理由となります。

発症当日:痙攣重積

とても長い日でした。(すべて記すとかなり長くなるため、なるべく情報を絞ります。)

高熱を出していた次女の様子がおかしいことに妻が気づいたことから始まりました。

痙攣発生~最初の救急搬送

瞳孔が上を向いたままで手足がぴくぴく震えていました。事前情報として、突発性発疹は熱性痙攣を起こすことがあると知っていましたが、様子がおかしかったため、すぐに救急に電話しました。

救急を待つ間に収まってくれれば、単なる熱性痙攣と思えましたが、到着まで痙攣状態が続きました。

市内の救急病院に搬送されて、抗けいれん薬を投与して、まずはけいれんを止める旨を説明受けました。

しかし、次女の悪いことには、抗けいれん薬が効果を見せず、結果、第3選択の抗けいれん薬でようやく止めることができました

後から聞いたのですが、抗けいれん薬には3段階あり、副作用など、状況を踏まえて徐々に強くしていくものらしいです。もちろん、第1選択で止まるのがもっとも望ましく、第3選択まで行かないと止まらない、という状況は、決して良い状況ではありませんでした。

高度設備のある病院へ転院

第3選択の抗けいれん薬で止まったものの、今後、けいれんがまた起こり止められなかった場合、最初に搬送された病院では迅速なケアができないと説明を受けました。

高度な設備のある病院へ転院すれば、他にも選択肢を得られるとのことで、即座に転院の依頼をしました。

結果として、転院をお願いしてから救急搬送完了するまで3時間かかりました。引継ぎや手配などあったようですが、その間も、次女の意識は依然として戻らず、気が気でない時間が続きました。

意識が戻らないまま小児集中治療室(PICU)へ

最初の救急電話から8時間後、やっと集中治療科医の先生と腰を据えて話をすることになりました。

それまで、医師と話すことはありましたが、事態が悪くなるばかりでしたので、「何もわからない、やれることをやる」という状態でした。

その際、次女に起こっているケースは2つが考えられると説明を受けました。

  • 熱性けいれんが長時間続き、かつ抗けいれん薬の副作用により深い眠りについてしまっている状態。
  • 急性脳症を発症しており、意識障害から回復していない状態。

前者であることを、当時は祈っていましたが、結論としては後者の方でした。

いずれにせよ、PICUで細やかな状態管理に全力を尽くす、と説明を受けました。

(この時説明してくれた集中治療科のH先生は、後にも説明を受けることになります。)

また、PICUに入るにあたり、MRI造影剤の使用や輸血など、たくさんの合意書を書きました。

病院からの電話が恐ろしい日々の始まり

長い一日が終わり、帰宅しました。

コロナ禍ということもあり、保護者は一緒に入院することはできませんでした。

容体が悪化した場合は電話をもらう手はずになっており、病院からの電話がならないことを祈る、寝苦しい夜となりました。

ちなみに、この時点で長女は妻の実家に預けることを決めており、迎えにきてもらっています。

妻の実家が近くで、大変助かりました。

病後1日目に続く

病前1日目と当日の経過は以上となります。

救急搬送したり、抗けいれん薬が利かずに転院したり、次女の状況がどんどん悪化していくのをただただ見守るしかない、苦痛の期間でした。

苦痛のピークは、二相性脳症が確定するまで続くことになります。時間差でショックが来ることが、この病気の厄介なところだと感じます。

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