二相性脳症

二相性脳症・発症経過の話:一過性回復期・安堵~病後1日目~【痙攣重積型(二相性)急性脳症】

2022年4月20日

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※次女が発症した病気について、自身の備忘と、同じように情報収集している方にとって少しでも役に立てばと記録します。

次女が2021年12月15日に痙攣重積型(二相性)急性脳症を発病しました。

二相性脳症は、症状や容体からすぐに判断できるわけではありません。

まずは長時間の痙攣(痙攣重積)が続き、そこから二相性脳症独特の経過を辿ります。

対応など、同じような境遇になる方がいましたら、気づきになれば幸いです。

※あくまで、我が家の次女の場合の経過であり、千差万別であることにご留意ください。

病後1日目:安堵

前日に、容態が悪くなり追加の処置が必要な場合は連絡するといわれていたため、電話が鳴らないことを祈る夜を越えました。

妻も私もあまり眠れていませんでした。

妻は実家の長女のもとへ

妻は朝早く、先日長女を預けた実家へ向かいました。

また、昼までには状況が変わらなくても一度連絡を入れると伝えられていたので、私は家で仕事をすることにしました。

仕事をする気分ではありませんでしたが、何もやらないのこともまた苦痛でした。

私の仕事はテレワークでもできることが多いため、次女の病気発症後、劇的にテレワークが増えることになります。

ある意味、今の時勢・時代で良かったと思っています

意識回復の連絡を受け病院へ

昼前ごろ、電話がありました。

次女が目覚めたので、13時から面会ができるという内容でした。

昨日の14時30分ごろの痙攣開始からずっと意識不明状態が続いていたので安心しました。

妻に連絡し、仕事を早々に撤収して病院に向かいました。

妻からは長女は元気にやっていると聞きました。長女が義母(おばあちゃん)によくなついていたのも幸運でした。

PICUで面会、脳症の所見なし

病後1日目
自力でマグで飲めており、言葉も発していました。

病院の面会は、コロナ禍ということもありかなり厳しくなっていました。

一時期は面会自体が難しい時もあったらしく、まだましだったようですが。。。

PICUは両親に限り、1日4時間まで面会可能でした。

やっとの思いで面会できた次女は、おびただしい数の線に繋がれており、痛々しい姿でした。

しかし、飲み物を自力で飲んでいる姿は病前のそれでした

少しボーっとしているようでしたが、笑顔や発語もありました

この時の安堵は今も忘れることができません。

何も悪いことは起こらなかったのだと、夫婦ともに病室で泣きました。

しばらく経ったら、巡回の先生がきてくださり、以下のようなお話を聞きました。

  • 熱性痙攣の痙攣重積状態だったのか、急性脳症の症状だったのかはまだ判断できないが、今のところは脳症の所見なし
  • 少しボーっとしているのは抗けいれん薬の影響ではないか。第三選択の薬は意識に与える影響が小さくない。
  • 夕方に一般病棟に移動する。様子見して大丈夫そうであれば、明日に退院できる。

PICUから一般病棟へ

一般病棟の面会は、1名限り1日4時間まででした。

私はロビーで待機して、妻が撮影してくれた動画で様子を確認しました。

PICUのときよりも目が開いており、覚醒しているようにみえたので、ますますホッとしました。

昨夜はよく眠れなかったせいか、安堵のせいか、ラウンジではうたた寝をしてしまいました。

明日(12/17)退院できるかどうかは、明日の朝に電話連絡があるとのことでした。

足取り軽く帰宅

4時間の面会を済ませた後、妻と食事をしました。

次女が救急搬送されてからまともに喉を通らなかった食事を、やっと取れるようになった心持ちでした。

妻は、病院通いの間は長女のいる実家に泊まることにしたので、私は独りで帰路につきました。

救急搬送された昨日に比べると、心身ともに軽くなった気分でした。

病後2日目に続く

病前1日目の経過は以上となります。

私の心情を思い返せば、安堵して希望を持てた日でしたが、結果から言えば、二相性脳症の一過性回復期にすぎませんでした。

娘には悪いことは何も起こらなかったんだ、と思っていましたが、結果的にそれは誤解で病気が今まさに進行しているさなかでした。

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