※次女が発症した病気について、自身の備忘と、同じように情報収集している方にとって少しでも役に立てばと記録します。
次女が2021年12月15日に痙攣重積型(二相性)急性脳症を発病しました。
二相性脳症は、症状や容体からすぐに判断できるわけではありません。
まずは長時間の痙攣(痙攣重積)が続き、多くは意識障害を起こします。
その後、一時的に回復するようにみえますが、徐々に状態は悪くなっていきます。
そして、二度目の痙攣を起こして再び意識障害に陥ります。
対応など、同じような境遇になる方がいましたら、気づきになれば幸いです。
※あくまで、我が家の次女の場合の経過であり、千差万別であることにご留意ください。
二相性脳症・発症経過リンク
- 二相性脳症・発症経過の話:初発症状・痙攣~病前1日目から当日~
- 二相性脳症・発症経過の話:一過性回復期・安堵~病後1日目~
- 二相性脳症・発症経過の話:一過性回復期・予感~病後2日目~
- 二相性脳症・発症経過の話:痙攣反復期・慟哭~病後3日目~
- 二相性脳症・発症経過の話:痙攣反復期・悲愴~病後4日目~
- 二相性脳症・発症経過の話:痙攣反復期・微笑~病後5日目~
- 二相性脳症・発症経過の話:回復期・現実~病後6日目~
- 二相性脳症・発症経過の話:回復期・萎縮~病後7-9日目~
- 二相性脳症・発症経過の話(終)アゲイン~病後10日目~
病後4日目:悲愴
朝、妻の実家で目覚め、身支度をして長女と少し遊びました。
病院が開く時間に合わせて、さっそく、面会をすることにしました。
二度目の痙攣で意識障害に陥ったため、そこから回復しているかどうかが気がかりでした。
結果として、朝一でPICUへ行きましたが、意識は戻っておらず眠っている状態でした。
看護師に、先生から話を聞きたいとお願いしたところ、主治医が来てくれました。
先日からの進捗としては以下の通りでした。
- 昨日の二度目の痙攣による意識障害の後、痙攣は三度起きなかった。現状も発熱なし。
- 抗けいれん薬は深夜1時に使用したので副作用で深い睡眠状態に移行したが、今、目覚めていないのは意識の戻りとしては遅い。
- 原因としては、脳症によるダメージが大きいのか、抗けいれん薬の副作用が効いているのか判断できない。
- 抗けいれん薬は12時間に1回投与するため、予定では午後1時だが、次回投薬を見送り意識が戻るのを待つ。ただし、その間に痙攣が群発するリスクがあるためPICUでの全身管理は継続する。
昨日から、痙攣が群発していないことについては安心しましたが、意識が戻っていないことはポジティブな状況ではないとのことでした。
この時点で、意識の戻りと後遺症との相関を聞いたところ、意識が戻らないと何とも言えないが、少なくとも、「第三選択の抗けいれん薬まで使用したこと」「意識の戻りが遅いこと」は気になる要素ではあるといわれました。
重度の後遺症が残った場合、このまま目覚めないのではないかと不安でした。
悲観の刻
意識が戻るまでそばにいてあげたかったですが、コロナ禍のため、面会時間は1日4時間までと決まっていました。
そのため、いったん、病院を離れて、午後に意識が回復しているという一縷の望みにかけることにしました。
時間をつぶすにしても、悪いことばかりを考えてしまいそうなので、妻とひたすら病院周りを歩き回りました。
昼食をとるためにレストランに入りました。
無理にでも食べるべきと思ったので食べましたが、吐き気がしました。
昼食後に、二相性脳症の経過や予後についてインターネットで調べました。
後遺症については重度のものから軽度のものまでさまざまでした。
娘はどのようになっていくのか。。。不安が募る時間でした。
病院へ再訪、意識障害からの回復
14時ごろに、祈るような気持ちでPICUへ再訪しました。
娘が目覚めていました!
とにかく目が覚めていたことに安堵しました。寝たきり状態という重篤な後遺症ではなさそうでした。
看護師に経過を聞いたところ、12時ごろに目覚めたそうでした。
娘の様子としては、呼びかけに答えることはなく、ぼんやりしていました。
しかし、目は開いており、手を握ると握り返してくる反応もありました。
これからだんだんと良くなっていくのだろうか、目が覚めてくれたことはうれしいことでしたがやはり、不安の大きさの方を感じていました。
巡回の先生から話を聞きました。
午前に話を聞いた主治医とは違っていたので、後遺症についても再度質問しました。
- 意識障害からは回復したが、覚醒している状態ではなく、ぼんやりしている状態。
- 目覚めたばかりなので、これからの様子を観察して後遺症の度合いがわかってくる。
- 後遺症については、やはり現状ではなんとも言えない。しかし、痙攣が1度目も2度目も止まりにくい性質のものだった、つまり抗けいれん薬を第三選択まで使用せざるを得なかったのは、良い状態ではなかったといえる。
この先生は、後遺症について、
「後遺症は3分の1区切りがあり、3分の1は寝たきりのような重度なもの。3分の1は、嚥下できない、麻痺するといった日常生活に支障があるもの。3分の1は運動障害や知能障害など、日常生活はできるが制限があるもの」
と話しました。
二相性脳症の予後について、インターネットの報告結果と異なっていました。
この先生が悲観的な物言いをするのか、脳症全般の話(二相性脳症)で話しているのか、インターネットの報告が誤っているのか。。。
情報の整合性がとれないので、ますます後遺症について不安になりました。
その後も、娘に声をかけたり体に触れたりしましたが、ぼんやりとしているようでした。
そのうち眠ってしまったので、病院を後にしました。
笑顔が見れなかったことが気がかりでした。
また、娘は笑えるようになるのかな。。。
独りの帰り道、母との電話で決壊
翌日からは仕事があったので、私は独りで帰路につきました。
妻は、再び長女のいる実家に帰っていきました。
二度目の痙攣で脳症が確定的になったタイミングで、一度連絡を入れていた母に、意識障害から回復したことを連絡しました。
言葉にすると、起こってしまったことを実感してしまい、夜道に泣き崩れてしまいました。
これから何が起きる変わらない。
しゃべれないかもしれない。
笑えないかもしれない。
歩けないかもしれない。
大好きなご飯を食べられないかもしれない。
娘がどんな姿になっても、寄り添って、生きていこうと強く思いました。
起こってしまったことは戻らない。
精一杯やるしかない。
長女とテレビ電話、救いの景色
長女の就寝前に、テレビ電話をつないでもらいました。
相も変わらず、騒がしそうに元気にしていました。
寂しくはないか、と聞いたところ、まだばあばのところにいたい、と言っていました。
長女に寂しい思いをさせていないのが救いでした。
独りの夜は相変わらず長いものでした。
今後のことを考えると、動揺を感じました。
気分転換もかねて、妻とチャットしながらM-1グランプリを見ました。
錦鯉が優勝した夜のことでした。
病後5日目に続く
病前4日目の経過は以上となります。
午前中は絶望でしたが、意識障害から回復したことには安心した日でした。
ただし、後遺症については、依然として不安が残ることになりました。
二相性脳症・病後1年間の出来事リンク